たまには回顧録。写真は2005年、49歳の頃です。
MTBダウンヒル競技で、2001年頃から開発業務に携わったHONDAのレーサー『RN-01(アールエヌ・ゼロワン)』を駆り、国内では『JCFジャパンシリーズ』『全日本選手権』などに参戦、そして年に1度ある『UCI ワールド・マスターズ』(年齢別の世界大会。UCI格式)でチャンピオンを目指していました。
そもそもMTB競技は1990年代初頭あたりからモトクロスのトレーニングにと気楽に始めたのが、レースでいきなり勝ったりして面白くなり本気に。サイクルワールドというMTBメーカーのファクトリーライダーを経て、かつてモトクロスでお世話になったHONDAと再び関わることになり、HONDA初のMTBプロジェクトで納得のいくレーサーができたので、『RN-01』と共に世界へ挑戦しました。
翌年2006年、50歳、カナダ・サンピークスで念願のワールドマスターズチャンピオンを獲得します。10年来のライバルだったアメリカのトレイシーに6秒差をつけた会心の勝利。
「2006年に世界で『君が代』を鳴らしたのは、フィギアスケートの荒川静香さんとオレの2人だけ!」というのが得意ネタ。
「さて、50歳になったことだしそろそろ人間ドックでも行ってみるか!」ということで受診したら、これがまさかの最悪ブッチギリ数値の雨あられ。「運動もしているし太ってないのに(当時67kg)何故だろう?」 医者からは(食事指導などしてくれるわけもなく)服薬を進められたが、とりあえずクスリは断って食事改善を開始、当時ホンダMTBチームの栄養士さんやトレーナーからの食事アドバイスは大変参考になった。思いきりレースをするのに、まずは健康体でなければパフォーマンスは発揮できない。
そして63歳のドックで全項目が正常値となったのは以前にもここに書いたとおりです。(タイトル『苦節13年!』)
HONDAは2007年までMTBレース活動をしたものの、市販には至らず活動撤退したこともあり、カミカゼも潔くMTBから引退、そして再びモトクロス熱が上昇します。「50歳でMTBマスターズを制したので、今度はモトクロスでワールドVETに挑戦だ!」と思い立ち、すでに10年以上遠征し続けて今に至ります。ワールドVETの参戦経験から、「こんなイベントが日本でもあったらいい!」ということで日本での『ジャパンVET』初開催の『言い出しっぺ(スーパーバイザー)』になったのもすでに14年前のことです。
カリフォルニアのワールドVETは、同年代に元世界チャンピオンやAMAライダー、GPライダーも多く非常にレベルが高く、いまだ世界一にはなれませんが、ホールショットだけは誰にも譲らないぜ! 彼らと一緒に走り、親交を深めるのはとにかく楽しくて最高です。
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かつて・・・90年代後半〜2007年頃まではMTBプロショップを結構大々的にやっていました。色々取り扱っていましたがメインは『サイクルワールド』。撮影クレジットShogo Nakaoは、エンタテイナーフォトグラファー 中尾てっぺー省吾氏です。
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そして64歳の今は、モトクロスの合間にサイクリングでトレーニング。
↑ 現在の愛車はPRO RIDE。これまた最高です!